こんにちは♪
ずいぶんと涼しくなってきたけれど、相変わらず冷えすぎ注意報発令中でございますよ。
電車やバス、大型施設など冷えすぎ。
あれ、誰のための冷房なんだ。

さてさて。
先日、元職場のBossにお誘いいただき、お鼓の会へ行かせていただきました♪
なかなかない貴重な機会です。
神戸市長田区にある、上田能楽堂。初めて伺いましたが、住宅街のど真ん中にいきなり能楽堂!!こちらに建てられたのにも色々秘話があるそうですが。

能楽堂の能舞台披露されるのですが、今回は居囃子(いばやし)のみの会。
ですので、面(おもて)をつけた役者さんが出られず、ストーリーもなく。。。
演目の中の一場面を、大鼓、小鼓、笛、太鼓。そしてお謡。という構成での会でした。

お能の舞台、ご覧になったことありますか!?
歌舞伎でも狂言でもなく「能」です。

わたしは何度か行かせていただいたことがあるのですが、、、、
んーーー、、、これあんまり言いたくないけれど正直「難しい」💦
お謡がセリフとなっているのですが、歌舞伎や狂言と違って聞いただけで理解できる言葉ではなく。。。
なので、予習必須!!な訳です。

ずっと以前ですが、テーマが恋物語の舞台を拝見したことがありました。
身分違いの叶わない恋のお話です。叶わないが故に、その気持ちが恨みとなって、怨霊となってしまう。。。というお話でした。
※若く高貴な女御と老いた家来の恋のお話。
能では、面をつけた役者さんが演じられますが、先ほども書いたように、セリフはお謡。なので、聞いているだけで「わかる!」というものではありません。
なので、この演目のストーリーを何度も読んで頭に入れていきました。
そしたら、最後怨霊になる直前に、主人公がふっとほんの少し視線を落としたんですね。
その瞬間、胸をギューーーっと掴まれたようになり、切なさが一気に込み上げてきました。
表情のない面(おもて)だけれども、はっきりと悲しみと怒りが見て取れたのです。
あの経験は、自分でもびっくりしたのですが、舞台上で繰り広げられている世界に完全に入り込んだ瞬間でした。

その経験を元Bossに話したら「そうそう!能舞台は、情報がたくさんあるわけではない。だから、役者さんとみている観客との間にコミュニケーションがないと成立しない。あなたはそれを感じたのね」と。

なんていうんだろ、説明が少ないだけに、こっちが感じにいかないと行けない。
芸術って、そういうものなのかなと。「観に来たんだから何か感じさせてよ」と、感受性までをも相手に投げてしまうのは、なんだかとっても表現者に失礼な気がするのです。
それは舞台表現でも絵画などのアートでもそうだと思う。
よく「絵とか芸術ってわからないのよね〜」っておっしゃる方があるけれど、それでいいんだと思う。別にわからなくたっていい。
例えば、作者と話すことがあったとして作者の意図と自分が感じたことが違っててもそれでいい。
ただ、大切なのは自分が「何を感じたのか」又は「何も感じなかったのか」これがめっちゃ大事なんだと思う。
元Boss曰く、自分が感じたものに正解も不正解もない。「感じた」んだからそれでいいのよ。と言ってくれる。
でもほんとにそうよね。だって、自分が感じたんだもの。
繰り返しになるけれど、今は情報や説明が多すぎる。感じる暇さえないくらいに。そんな時間が続いたらどうなる?

先日の会では、派手な演出や、わかりやすい説明やセリフもない、舞台を拝見し「ただ感じる」という時間を堪能させていただきました。
会の最後には、人間国宝でいらっしゃる大倉源次郎先生の演奏も聞かせていただき、感動でした。

この会へは仲良し同級生姉妹もお誘いして行ってきました。(姉妹ともにピラティスloverです💕)
二人ともとっても喜んでくれて。誘ってよかった♪

そして、、、、わたしの元Bossは、小鼓での出演でしたが、、、華あるわ〜。。。
身贔屓差し引いても明らかに華がある。
そんなことも嬉しい1日でした♪